北京城内外の民楽愛好家

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北京城内外の民楽愛好家


沙井副食店  現代北京の2坏(2号環状)にあたる所に大躍進時代に取り壊されるまで、城壁がありました。それがどのようなものであったのか、現在も東便門(北京駅)、西便門(中央音楽学院前)に残されている部分から想像することができます。 北京・西便門付近の城壁 左の写真は、西便門付近で、そびえ立つ城壁と櫓が見えます。かつて、蒙古・女真族(満州族)の王朝だった清は、この城壁より内側に漢族を住まわせませんでした。漢族は、前門(天安門広場の南側)より城外・南部に追い出され、この大柵欄と言われる地域、さらにその南の天橋にて、漢族の文化が継承されてきました。大柵欄には、梅蘭芳の生家(現在はおそらくない)や京劇用劇場があり、天橋は大道芸が盛んなところでした。(劉天華が天橋へ民間の音楽を採譜に行き、その後、熱病で亡くなったことはよく知られています。)清末、同治・光緒年間に、西太后により篤い庇護を受けるようになってから京劇が大いに発展し、民国に入っても、数多くの名優・楽師を輩出しました。これらの大師たちは、漢族、蒙古族共に入り乱れて活動しており、この時にかつて民族が分かれて生活していた頃より文化が融合されていったと考えることができます。市井の一般の京劇愛好家(票友と言う)らも、同様の流れになっていったと思われ、ここでは「北京城内外の民楽愛好家」として一纏めに取り上げることといたします。現在も北京城内域に生活している方々は、清代より相続した先祖の財産を少しずつ食いつぶしてゆき、仕事もせず、いまだにそれで生活している人もいます。これら文化人が票友人口の一部を占め、一方、漢族地域の票友は経済状況は不明ですが、元々文化的な環境だったため、ここにも有る程度の票友がおり、現在ではどちらがどうとか、わからなくなっております。この方々は、琴師が公園などのベンチや柵に腰掛け、やってきた票友の伴奏をします。非常に気むずかしい方々で、推測ではたぶん文革期に迫害されたので閉鎖性を高めていると思われますが、知らない人に敵対的な対応を取ることが多いです。あまり長く見ていると怒られますので、私が怒鳴られている音声も収録される可能性がありますが、そこを強行して収録したものをここに公開しております。

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07.09.30 - 北海

  かつて皇帝が釣りをしていたという出島は現在、市民の憩いの場になっています。ここでは、合奏が行われることが多いです。これは合唱の例です。伴奏はテープで流しています。この歌が気に入っているようで、何度も歌っています。この集団の素性についてはよくわかりません。

09.01.18 - 官园

  国家京劇院の実験劇場です。北方崑劇院の公演月間で、伴奏セクションは老人が多数で二胡も入っていますので、ここに含めておきました。

10.02.28 - 什刹海

  ここは元宮廷付属の湖の内、前海、后海の2つを指す場所です。レストランやバーが湖岸に密集している地域で、周辺は胡同と呼ばれる古い町並みが残っているので、観光を終えた客が夜に集まって来るような場所です。(豆知識:什刹海の南に北海があり、北京で最も美しい場所の1つとされるところです。さらに南には中海、南海とあり、この2つは「中南海」と呼ばれ、中国の政治の中心です。入域はできません。その東に紫禁城があります。)什刹海と北海の間ぐらいに広場があって、太極拳やバトミントン、凧揚げなどして市民が楽しんでいます。ここに夕方になると毎日、京劇愛好家が出没し、京胡を拉いては票友に唱わせたりしています。

10.03.31 - 新街口

  新街口は、道の両側にたくさんの楽器店が並んでいます。そこを行き来しながら録音してみました。最初は京胡です。購入しようとしているお客さんが、商品を吟味しているところです。次に、道の向に移動して、笛子のレッスンを観察します。(写真)手前の人が老師で、いつも生徒がやってくると屋外でレッスンしています。生徒は女性が多いです。間近で見ている男性は、楽器卸しの業者で、レッスンが終わるのを待っています。また道の向に移動して戻り、今度は二胡の合奏をしているところです。写真は、ここにあります。このように毎日、いろんな楽器が演奏されています。