二胡絹弦の販売 - 弦堂
おそらく、技術よりも感覚の問題のような気がします。
例えば、日本人がさくらを拉くと、感覚的に当然のように美しく拉けますが、中国人はわかりません。
それで、手探りのような拉き方にどうしてもなってしまうと思います。
その状態で、「弓を大きく動かしましょう」とか言われても、頭ではやるべきことがわかっても、体が動かないと思います。
ところが、子供は動くので、凄まじいでたらめ演奏になって、笑えるほどです。
親に怒られるので、泣きそうになりながら、必死で弓を擦ります。
やたらと弓を動かして、壊れた人形のようで、女性の方などは、かわいいなどと言いますが、大人は、常識があるので、そういうことはできません。
それで、芸術性がわからないと、弓法は改善できないと思います。
要するに、曲のイメージですが、これがわかるだけで、問題のほとんどは解消すると思います。
それで、名教師と名高い方々は、「この音とこの音で、弓を全部使って下さい」と言うとか、上げ弓と下げ弓を指定して、どうしても大きく擦らないと詰まってしまうように追い込みます。
生徒が弓のスペースを失い詰まってしまうと、ただ「もう1度やりましょう」としかいいません。
「弓の使い方がだめだ」というと生徒が自信をなくすので、それを言うときは慎重に吟味し、生徒がそういう目標設定をし、その日のうちに1つでも改善できる見込みがあるときしか、言いません。
終わったら「あなたは、これができるようになりました」と必ず言います。
だめな演奏と綺麗な演奏をどちらも演奏して聞かせ、客観的に理解させます。
この時に、弓法、指法の指定はすべて音楽の美しさが基準に決まっていることを理解できるようにします。
これが解ると、楽譜の指定を変更することさえできるようになり、新しい表現を作り出せるので、見本として、1つの小節を幾通りにも演奏して見せることさえあります。
こうして美しく鳴らす感覚がわかると、言われなくても適切に弓は動きます。
なぜなら、イメージした音が出ないと、生徒がそれを探ってゆくからです。
音程がずれた時に、指で位置を探るのと同じです。
良い教師は、その間、何も言わずに黙っています。
わかっていても、なかなか良い音が出ずに行き詰まると、「さあ。一緒に拉いてみましょう」といいます。
生徒は教師と同じように拉けるようになっていきます。
練習量は全く関係ないどころか、あまりに繰り返し過ぎると、飽きてきて感性豊かに演奏どころではないので、害の方が大きいと思います。
孔子曰く「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。
むしろ、曲の理解に時間を使う方が有益です。
たいてい巨匠たちは、練習より、理解に費やす時間の方が長いです。
彼らの多くは、練習嫌いです。
天才も、ほとんど努力らしいことはしません。
しかし、何もやっていないわけではなく、一般人より実際には遙かに多くのことを密かにやっています。
それで、いつの間にか完璧に理解しています。
その状態で演奏すれば、当然、魅力的なものになります。
このあたりが、ポイントではないかと思います。
技術にばかり目を向けると技術は熟さないのかもしれません。
技術に感性がついてくることはないですが、その逆は多々あります。