二胡絹弦の販売 - 弦堂
二胡は、シルクロードを伝ってやってきました。
音楽の発祥は古代オリエント方面で、当時の各国宮廷楽団はユダヤ人で組織されていましたが(優秀な演奏家になるための条件とは何ですか?参照)その後ユダヤ商人はシルクロード交易を発明し、街道沿いの各駅はユダヤ商人に支配され、終着点の長安にも大きなユダヤコミュニティがあったことが明らかになっています。
(注:実際の終着点は日本だったかもしれません。神道はユダヤ教の背教したものであるとされています。日本は多くのユダヤの末裔がいると言われています。)
交易によって多くの異民族と接する彼らは、文化と言葉を超える音楽を使って訪れた地方の人々と交流し、商取引を有利に進める道具として使ったとされています。
このようにして中華圏に入域した拉弦楽器がどのような変遷を経て現代に至ったのかよくわかっていません。
二胡の到来に関する有力な1つの説は、モンゴルからだとされています。
この根拠は、おそらく二胡弓が馬尾を使っているからだと思いますが、元々二胡の弓は竹でしたので、これが北方に入って改良されてから逆流したのかもしれません。
中国側からみますと、万里の長城を伝って、さらに向こうに、異民族の地方に足を踏み入れると、ウィグル族が多く住む土地に入ります。
このあたりにある二胡は、西から伝播してきたのか、或いは、中国から逆流してもたらされたものなのかわかりませんが、一部を除けばよく似ています。
はっきりした違いは、ウィグル二胡には、共鳴弦が複数あるということです。
中国人は、響きを豊かに得るために、琴托を付けましたが、アラブ・インド系の文化に属する人々は、共鳴弦を付けるのを好むようです。
それは一体どんなものなのか、ふしぎに思われると思いますので、写真を掲載しました。
弦は、すべて皮の上を通過していますが、共鳴弦は張っているだけで演奏されません。
実際に弓を当てるのは、2弦だけで、二胡と同じです。
劉天華以前の二胡は音域が狭かったと言われていますが、このウィグルの楽器は今でも音域が狭いです。
二胡の由来については、どの説も憶測の域を出ず、よくわかっていません。
シルクロードは、絹の交易に用いられたのでこの名称で呼ばれていますが、その終着点は蘇州です。
蘇州では現在でも絹が名産です。
蘇州は二胡の本場でもあります。
