弦堂(絹弦) > ご質問 > 二胡関係の録音と楽譜
二胡は暗譜して演奏した方がいいのでしょうか?
時々「暗譜していないとプロとは言えない」という人がいます。それぐらい楽曲を理解していないと専門の演奏家とは言えないということのようです。しかし、記憶していることと理解していることは別問題だと思います。この2つがどうしても別だと思えない人は暗譜するべきということで結論としたいと思います。個人が決断すべき問題なので。それでも、すべての演奏家は必ず暗譜すべき、という主張もあるので、これには反論しておきます。
私の老師は、他人の作品は憶えていますが、自身の作曲作品はよく憶えていません。譜子を確認して「ああ、そうだった」と言ってはしばしば演奏を続けます。理解が足らないのでしょうか? というよりこれはある意味「努力の不足」だと思います。自分の作品はよくわかっているので、その作品に対し、何らかの努力は必要ありません。もう完成した時点でよく理解しているからです。しかし他人の作曲作品はよく読まないといけないので、これは憶えているのだと思います。これは、記憶と理解が全く別物である例の1つです。
ドイツのクレンペラーが晩年に行った演奏収録が幾つも販売されていますが、それを見てみますとクレンペラーは譜を忘れてしばしば苦笑いしています。どこまで演奏したかわからなくなり、時々、箇所を捜しては続けています。それでも演奏自体はオーケストラが行うので、クレンペラーを無視してどんどん正しく進んでいきます。普通人間、自分の映像が収録されるとなったら、少なくともその時ぐらいはまじめにやります。自分が死んでも半永久的に残る訳ですし、醜態を幾度も晒したものに堂々と販売許可を出したな、と呆れます。幾らインド人とか中国人のようにいい加減と言ってもですよ、映像収録ぐらいは一応きちんと臨むと思います。ところがドイツ系ユダヤ人がこういう仕事をやったとなると驚きを通り越します。驚きはそれだけではなく、これらの演奏は20世紀最高の芸術だと見なされていることです。幾ら譜を忘れても、クレンペラー以上の仕事ができる人はいないのです。理解しているとはまさにこういうことを言うのだと思います。記憶とはやっぱり違うと認識させられます。
記憶できるということは立派なことなのかもしれませんが、それよりもっと大事なことがあると思います。譜を見ると音楽の流れが失われやすいということはあるかもしれませんが、優秀な演奏家は譜を初見で演奏しても流れは失われません。譜子を見ないで演奏できることにメリットがあるのは確かですが、それが絶対条件なら評価に値しない巨匠たちも出てくると思います。

